人工股関節置換術の体験を手記に
接いだ足のその後
「湖のほとりにて 第12集」に、「二〇〇一年足接ぎの記」を書いたとき私は66歳だった。以来、四級の身体障害者となってしまった。
長い梅雨が明けた七月三十一日、■■■■前の■■■病院に定期検診に行ってきた。
前回は昨年の暮れだったから半年ぶりだ。あのとき、「次は夏ごろ来なさい」と言われて、祇園祭が過ぎた日に診察を依頼する電話をしたら、すでに予約が詰まっていて、七月中にはギリギリセーフのこの日となった。
退院後の一年間は毎月一度検診に行った。その度にレントゲンを撮って、置換した人工骨がずれていないかを調べられた。
二年目になると二か月一度、三年目は三か月に一度のぺースで検診、やはりレントゲンを撮り、今度は骨密度の測定を受けた。
そして昨年の暮れの次が今日となった。私は検診が一か月以上遅れたことを注意されるかなと思っていたが、病院の方では半月先まで外来予約は詰まっており、次々に新患も増える。元患者のケアには積極的ではないのだ。
よく「三時間、三分診療」などと言われるが、これまでの私の場合も、予約時間とは一応の順番だけで、いつも一時間は待たされた挙句、診察は三分ほどで終わらされた。気がかりなことを相談しようと心績もりしても、先生は私が診療台から下りた時は、もう次の人のカルテに目を通しているようで、物足りぬ思いのままに帰ってきていた。まあ特に異状がが無かったからかも知れない。
しかしこの日は一体どうしたことか? レントゲン室も診察室も、どちらの廊下の待合い席にも人が少なく、ほとんど待たずに呼び入れられて、とんとんと進んだ。
そしてこれまでよりていねいに診て下さる。こんな日もあるのか? と内心驚き、嬉しかった。
後で聞いた話だが、京都の人は月末月始に病院に行くことを嫌う風習があるのだそうだ。道理で空いているように感じた。こんなことは初めてであった。
診察室に入ると、先ず室内の端から端まで五メートルほどを二往復歩かされた。いつもは一往復だ。
「よろしい。ゆっくりでいいから屈んでごらん。和式トイレで屈めますか?」と続く。
診察台に上向きと横向き、うつ伏せの順に両足を揚げる力や曲げる角度、開脚度などを計ったり試された後、異状は? と問われた。
私は四月末に歩いていて左足を捻ったこと、二週間ほど痛くて内出血もしていたこと、そのせいでつけ根の人工骨がずれてないか気になっていた、と言った。
すると先生は左足首を診て下さり、まだ少し腫れていますね。常に注意深くしないと......。
次に私は、いつも長時間椅子に座っていると、手術した足の大腿部の外側が痛い。就寝の姿勢も左を下にして横向きになると痛い。万一脱臼したら? と心配だし、実際に手術した部位には鈍痛感がある。むしろ立っていたり歩いているときは全く平気だと言った。
先生は「腰は痛くないですか」と聞かれた。腰痛なんて、今まで一度も聞かれたことがなかった。私はこの頃毎朝腰が痛いと答えた。
最近私は腹筋運動とスクワップ運動を習慣的に続けているが、毎朝起床後30分ほど腰が痛いのは、その背筋運動のせいだと思っていた。
先生は、「腰痛があったり、お尻の筋肉が少し落ちるのです。しかし今まで通りに怠けることなく、筋力アップのトレーニングを欠かさないように続けてください」と言われた。
そう言われて私は思い当たる節があった、私の体形は肩や首のあたりは、それほど肥満体に見えないのに、下半身、特にお尻が大きく、20年も前の職場時代から、スカートもズボン(この頃はパンツというのだけれど)も既製服の場合、ウエストは楽だがヒップは窮屈なので、上衣は13号でいいのだが、下は17号である。クイーンサイズ店でしか買えなかった。それが最近、どのパンツもお尻がゆったりして楽に感じるのだ。やっぱり年のせいでスマート、いや張りが無くなったナと思っていたのだが、手術のせいでお尻の筋肉が治ちたのだとは知らなかった! 何をか言わんや、である。
「骨を接ぐとお尻の筋肉は落ちてくるのでしょうか? 下半身の力が弱くなるのですか?」、と私は心配になって聞いた。
「大丈夫ですよ。今後あなたが重大な病気にならずに平均寿命まで生きるとしても再手術の必要はないです。ただ太股の筋肉を鍛えておくことです。急いで走ったり転ばないようにね。次回は来年の春に来て下さい」
「春とおっしゃいますと三月ごろですか?」
「いいえ、今日が七月なら次は一月です」
一月って春かな? 暦なのかしら......。
夏ごろ来いとか、春ごろとか変な言い方だ。大雪だったら困るけど......。一月三十一日もガラ空きだろうか? だったらいいけれど。
二〇〇六年 八月三日
※対談の内容はあくまで体験者の感想です。症状や結果には個人差があるため、詳しくは専門医にご相談ください。