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人工股関節置換術の体験を手記に

二〇〇一年足接ぎの記 (三)リハビリのお話です

外科医の仕事は、切って、治療して、閉じるだけだ。この後はリハビリの分野になる。

リハビリテーション。即ち回復、更生、社会復帰を意味する。

リハビリ室では機能回復に助力してくれる理学療法士がいて、患者個々を手とり足とり訓練してくれる。整形外科だけでなく、機能訓練の必要な患者が、時間帯に分けられてメニューをこなす。効果は個々により、症状の重さにより、また老若の年齢により異なる。

私に課せられたことは、足の筋力アップにひたすら励むだけである。大腿骨に接ぎ足された人工骨部を、周りの筋肉がしっかり包みこんで支えられるようになるまで鍛えるのだ。

両方の足首に、それぞれ一キログラムの砂袋のようなベルトを巻く。先ず足指の関節運動に始まり、足首、脹脛(ふくらはぎ)、膝から太ももへと、曲げずに持ち上げる運動を五分間ずつする。

特に大腿四頭筋を鍛えることが大切なのだ。

この運動は腹筋をひき締める効果があって、私には好都合のものだが、大変に疲れる。

毎日四十分間リハビリ室で汗を流す。初めの二、三日は病室に戻るやベッドにダウンであったが、訓練することは偉大である。そう言えば『継続は力なり』なんて、昔だれかに説教したのは私自身であったのに......。

二週目からはこの運動に加わってバランス台に立ち、手術した足に徐々に体重をかける練習になった。初めは、右に一、左に三分の一荷重する。

左右交互に板を踏む。両方向量の力をかけられないこの運動もなかなか難しく、うっかり力が加わると、赤マークがついてブザーがなる。翌日は左に右の二分の一の荷重、その次は三分の二の力をかける。ブザーが鳴る度に『腕の力で体を支えて! ゆっくり!』と注意された。

傷口は固くてつっぱるし、不自然な力が加わっているのか、腰も膝も足首もとても疲れる。病室に戻り、廊下の手すりを持って練習する。通りがかった看護婦さんが激励してくれる。

こうして支え棒から手を離しても立てるようになる。すると次は平行棒の中を歩く練習だ。平行棒の長さは五メートル。両手で平行棒を持ちながら三十往復する。ターンしてばかりだが、三百メートル歩いたことになる。

翌日は四十往復。前日より百メートル歩行距離を伸ばしたのにOKが出ない。問題は距離ではなく、歩き方と姿勢が合格点だった。

いよいよ平行棒の中の歩行にOKが出ると、私の身長に調節された松葉杖が手渡された。

今後はリハビリ室を出て廊下を歩くのだ。

さあこれからは練習量だ。うまく歩けるようになろう。自分次第だわ、と張り切る私は「やり過ぎは駄目ですよ。疲れると転倒しますから気をつけて下さい」と釘をさされた。

仰せの通り就寝前には腰に上腕に脇腹にと、筋肉ほぐしのパテックをぺたぺた貼らずにはいられなかった。

朝早く誰もいないほの暗い外来棟の廊下を、そして午前と午後、夕食後の自由時間を利用して、病棟の端から端までを五往復歩いた。

三日後、両松葉杖は片側の一本になった。片松葉杖で半身を支えて歩く。二本よりも一本だけで歩く方が軽くて楽だと実感する。

こうして片松葉杖歩行に慣れると、自分の杖にと移行する。松葉杖に比べると、杖だけで身体を支えるのは心許なく感じた。

片松葉が杖に替わったら、一週間後に退院らしいという噂だった。その段階まで進んだ私は、その噂を信じながら杖歩きに勤しんでいた。

いつの間にか手術の日から五週間が、入院の日から六週間が過ぎていた。

晴れた日の夕暮れ、病室の窓からは燃えるような太陽が西山の空を赤く染めて、刻一刻沈む様子が眺められた。山の端に沈む夕日は、少しずつ北側に移っていくことに気付いた。

入院した頃、病院前のケヤキ並木は枯枝ばかりの立木だったが、どの枝も小さな芽吹きをつけ、今ではその枝間を飛び交う小鳥の姿が葉の陰に隠れるほどに茂っている。

季節が巡って、こんなふうに新生する自然の姿を目にすると、もう私は一日も早く退院したいと願わずにはいられなかった。

そしてその願いは四月六日に叶えられた。

本でも読むしかすることのない病院の生活では、空腹感もないのに次の食事を楽しみにしている、ただ時間の経つのを待つ私だった。

ところが一たび家に帰って普通の生活に戻ると、課せられたリハビリ運動の四十分間を確保することさえいい加減になって、きちんと履行することが辛くなっていた。
手術後わずか一ヶ月余りしか経っていない自分の体の状態を忘れてしまうのだ。療養に専念させる入院生活の意義は大きいのだと、改めて思うことしきりである。

この先当分、医者の言葉では三年かも知れないし、人によっては五年以上、「脱臼」という危倶を招く体形、体勢には十分注意するという制約が与えられている。

つまり体を九十度以上曲げないこと。人工骨で接いだ足は絶対に内股にしないこと。そのため就寝中も両足の間にはクッションをはさむこと。滑ったり転倒しないように杖を離してはいけないと言われている。

関節や固定部にゆるみや変形が生じると、再手術が必要となり、それは十年で十パーセント、十五年で十五パーセントだとか......。それはその人の活動度や体質によって異なり、一概に時期は言えないそうだ。

人間だれしも長く生きていくうちに、老眼鏡や入れ歯や補聴器に始まり、体のいろいろな部分で疲れと劣えがくる。そしてその度合いも進んでくる。その度に眼鏡も歯も合わなくなってきたりする。人工の股関節もかつては十年で再手術しなければならなかった。セラミックやチタンでつくられた現在のものは三十年保つと言われ、医学の進歩に感謝する。

私は接いでもらったこの足を、死ぬまで大切に使えるように守っていこうと思う。この足で山道も石段も歩ける日は必ずやってくる。

一病息災。もはや身体障害者の四級という手帳をいただいた身である。恐いもの知らずで横着な行動が出来ることもない。一つくらい弱点を持つことが長生きの秘訣かも知れない、と自らを悟すのである。

二〇〇一年の四月からは、あの痛みから解放されて喜びをかみしめながら新しい生活を送るのだ。

私の足のこと、お気遣い下さった多くの方々に心から感謝をこめて......。

二〇〇一年四月末日記

インタビュー目次

  • 人工股関節置換術インタビュー前ページへ
  • 人工股関節置換術インタビュー1ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー2ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー3ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー4ページ目

※対談の内容はあくまで体験者の感想です。症状や結果には個人差があるため、詳しくは専門医にご相談ください。

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