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人工股関節置換術の体験を手記に

二〇〇一年足接ぎの記 (二)手術、その直後のお話です

三月一日午前八時半、手術室に入る。直前、右腕に筋肉注射を打たれた。緊張を柔らげるためだと言われたが、睡眠剤かも知れない?

手術室に入って間もなく、何だか温かいものがからだ全体に被せられたように感じたが、実はそれっきり私の意識はなくなったようだ。

口に人工呼吸器の管をくわえさせられたことも、腰部に麻酔が打たれたことも、両手に、輸血や血圧や心電図用の器具がとりつけられたことも、これらはすべて手術が終わって病室に戻ってから知ったことだ。

手術は左の太腿の外側を横に弓型に切り、大腿骨の上端が十センチほど切断された。
大腿骨は人体の中で最も大きな管状骨で、上端は球状になっていて股関節をつくっている。

私のは、この部分が変形して骨盤との間にある軟骨部を磨り減らし、斜めにくい込んでしまっていた。それが神経に触り、辛い痛みの原因だった。

もちろん全身麻酔で行われた。それと、硬膜外麻酔と言って、こちらは手術後の痛み止めにも使用されたので、いわゆる麻酔が切れてから痛むということはなかった。
そのために背中から硬膜外腔というところに、極細のチューブ(硬膜外カテーテル)が入れてあった。

手術は手こずったようで、予定の倍近い時間がかかり、付き添った家族は心配した。

手術中のことは何も覚えていないのだけれども、ところが夢の中のようで、頭のすぐ上でしきりに電気ノコギリの「キューン」という音や、カンカン、コンコンと打ちつける音が聞こえる。

夢の中で私の意識は前日の院内放送を思い出していた。「三階の廊下で緊急に補修工事をしますので......」と連絡していたことを。

だがそれこそ他ならぬ手術中の音だったのだ。夕方、病室に入ってきた婦長にそのことを言うと、
「あれ、聞こえていましたか? 長引いたから麻酔が醒めかけていたようですね。それは手術室のお馴染みの音なのですよ。もちろんあなたのではありませんよ」と笑っている。

私はそれを聞いてギョッとした。外科医というのは、人間の足も鶏(とり)や牛のもも肉をさばくように割り切って手術するのだろうか?

親に貰った骨の一部分を切り捨てて、永久に磨り減らない、固いセラミックの人工骨頭を接ぎ足された自分が悲しかった。

元来骨は膜で筒状のように覆われていて、容易に折れたり脱臼したりしない。接がれた偽物の骨には、そのやさしい膜がない。そのため逆方向につまり内側に足を曲げると、スポンと抜けてはずれてしまう危険がある。だから人工骨を接いだ者は、骨の周囲の筋肉を鍛えて強く支えてやらねばならない。

手術後、人工骨が固定するまでは絶対に動かしてはいけない。ベット上の私は、両足を開いた仰臥の姿勢を保つこと二週間。足が閉じられないように大きな三角形のクッションをはさむ。寝返りを打つ際には、外転台と称する箱状の枠を使って、仰臥の姿をそのまま九十度起こしてもらい、傾いたり倒れたりしないように、体とベットの柵の間に座布団やクッションを詰めて固定してもらう。

これが必要な間は、ナースコールを押すと、二人一チームで看護婦さんがやってくる。

しばしば寝返りをさせないと、たちまちの中に背中や腰に床ずれのできる患者もある。

真夜中に勤務する看護婦さんに、体位の交換を頼むと、その際背中や腰をさすってくれる人がいる。そのときの心地よさと慰み、あの手のやさしさこそ、いかなるものにも勝る看護だとしみじみ感じた。「手当て」というのはそこから生まれた言葉だそうだ。

寝たきりのはりつけ状態ではあるが、食事時を利用してベッドの頭側を少しずつ上げて、体を起して座れるようにしていく。

一日目は三十度。自力では食べられない。

二日目は四十五度。これなら自分の手でスプーンを持って口まで運べるが、汁ものはダメ。なんと運悪くこの日の昼食は肉うどんであった。

三日目は六十度。まだ食べにくい。口までは入ったが飲み下しに時間がかかる。

四日目で九十度になった。これで完壁だ。お箸で食べることも歯を磨くことも可能になったが、口をゆすいだり顔を洗えるようになるのはまだまだ先のことだ。

五日目になって、傷口に差し込まれていたチューブが抜かれた。手術後、骨髄から惨み出る血がやっと止まったようだ。次は腰部からカテーテルが抜かれた。この日まで少しずつ痛み止めの液が注入されていたことが分かった。でも手首の点滴の器具はそのままで、昼夜を問わず続けられていた。
「これは何の薬?」といちいち問う私に、
「これは造血剤、こっちは抗生物質、大きいのは蛋白質の栄養剤です」と看護婦は答えた。点滴の期間が終わって、左手からスルメの背骨みたいなチューブや針が抜かれ、内出血のため黒ずんで固く腫れた腕は解放された。

三月十三日、傷口の抜糸が半分だけ終わり、翌日には導尿の管も不要になった。

やっと体につけられていた全ての管は取り去られた。次は指示された通りにベッドから恐る恐る降りて車椅子に座ってみた。

今日から自分でトイレに行ける! 長い期間排泄の世話をしてもらわなければならない患者の気持ちが、この二週間の経験で身を以って理解できた。

翌日の明け方であった。慎重にトイレに行った私が便座から車椅子に移ろうとした時だ。私の左足はつけ根からグラッと曲った。一瞬内股になったのか? カクッと音がしたような、左足が引きつって短くなったようだつた。

慌てた私は、思わず左の腿を押えた。引きつった足は元へ戻った。非常ボタンを押した。

すぐ看護婦が入って来た。偶々当直だった主治医のH先生も連絡を受けて走って来た。「カクッと鳴って、左足のつけ根が曲がりました」。私の顔は恐怖で歪んでいただろう。
「痛いですか? ものすごく痛いですか?」
「いえ、別に痛くはありません」
「よかった。なら大丈夫です。左足を絶対に内側へ曲げないこと。気をつけて下さいね」

しかし私の左足は、翌日もまたトイレでぐらっとなった。その後も二度、ぐらっとなった。
その度に大騒ぎしてレントゲンを撮った。
「先生、私の足、ちゃんと差しこまれているのでしょうか? 脱臼しそうで恐くて...」

万一脱臼したら、その痛さは激痛を通り越して気絶しそうだと言う。けれども実際に私の足のつけ根は、その後もカクッと音がすることがある。やはり途中で接がれているのだと実感するのだ。

三月十五日、残り半分の抜糸が終わった。恐る恐る傷口を見ると、私の白い太腿には、ピンク色をした大きなムカデがぺたっとくっついている。この惨いマークは何年ほどしたら薄くなるのだろう?消えるのかしら?

インタビュー目次

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  • 人工股関節置換術インタビュー1ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー2ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー3ページ目
  • 人工股関節置換術インタビュー4ページ目

※対談の内容はあくまで体験者の感想です。症状や結果には個人差があるため、詳しくは専門医にご相談ください。

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